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ESSAY(2006年10月)|高田明美オフィシャルホームページ ~ Angels ~

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ESSAY

2000年に立ち上げた旧公式サイトの日記を移転しました。今後の更新は、特別に残しておきたい思いがあった時に書くかも?

2006年10月

  • <肉球>2006年10月20日

     すあま、羽二重餅、ぎゅうひは薄甘くて柔らかい。

     私の頭の中で、同じところに分類されるのは南の島のヤモリとヨモの肉球。つまめばやんわり、なめても甘くはないんだけれど、イメージはピンク、そしてスウィート。

    肉球懐かしいなぁ… ふぅ‥‥


     去る10月15日、三鷹の深大寺の動物霊園でごく内輪の人に集まってもらい、立合会葬を済ませました。お迎えの車は、小さいけれどちゃんと霊柩車でびっくりしました。余りに立派な後部の祭壇に、思わず美しく配置し写真を撮りました。その後、ここには荷物を置いて、火葬場まで座席でだっこして移動しました。途中、ヨモを拾ってきた当時住んでいたマンションのそばを通り、とても懐かしかったです。ちんまりと小さくて、ノミだらけで、黄色く汚れて、風邪引きで、目やにだらけで、人間不信で、栄養不良のために前脚の骨は曲がり、ちゃんと声も出ない貧相な仔猫で、捨てられた時に入っていた段ボールと一緒にマンションにやって来ました。思えば猫らしく成長したものです。

     ヨモは内輪の人たちが見守る中、密封された保存袋ごと布のポシェットにくるまれ、メッセージやお花、封を切って中身を出した猫節と一緒に火葬され、午後3時過ぎに一筋の白い煙になって天に昇りました。1時間ほど待って皆でお骨上げし、白い骨壺におさめました。火葬場のスタッフの方が錦のカバーをかぶせ、それは丁寧に白い風呂敷にくるんで下さったので、ほどくのがもったいなくて、そのままにしてあります。お世話になっていた病院で紹介してもらったのが深大寺で、菩提寺と言う訳ではありませんが、美しい環境で良いお葬式ができました。お骨を収める慰霊塔もあったのですが、やはりそばに置きたくて家に連れてかえりました。生きている時、神経質なヨモは、パタパタ動くイネを好きじゃなかったみたいですが、これからは仲良く私の事を待っていてもらいたいと思って、2匹のお骨を並べてお線香を上げました。

    霊柩車!? あの世では仲良くしてね。(左.ヨモ-右.イネ)

     10月6日に大往生(?)してから、もう半月。時間が立つのはあまりにも早くてびっくりする。気持ちを切り替えて仕事を…と思っても、ついつい会葬御礼の葉書を出したり、昼寝したり、長湯に入ったり、整体に通ったり、鍋をつついたりと、心と身体の癒しの方に向いてしまう。5週間の介護生活でジワジワとしか出来なかった仕事もどっさりと溜まっているし、更に来年の1月の個展まで気がつけば3ヶ月しかない。お正月休みも挟んで、有効に使えるのは2ヶ月半!先に延ばした時は、これで大丈夫だと思ったのに、やばいやばいぞっ!

     心を鎮めるようにシルバーバングルを削りだしていたのは、思えば平穏な日々だったのか?あぁ、きっちりお仕事じゃなくて、ダラダラお絵描きしたいなぁ。 思い出に浸ったりポロポロ泣いたりしながら、なんだかゆっくり暮らしていたのに、無理にでもシフトチェンジしなくちゃいけなくなりそう。

     BBSでのメッセージやメールでヨモへ暖かいお言葉をいただいた方々にお礼の葉書を出し終えて、いよいよヨモにしてやれることもなくなりました。どうやら逃避の季節は終わりにしなくてはなりません。


    心の中でヨモのことを思っていてくださった皆様、
    上の画像をクリックして会葬御礼のメッセージをご覧下さい。
  • <ヨモの旅立ち>2006年10月10日

     皆様にご心配をおかけしていたヨモですが、10月6日の午後2時過ぎに亡くなりました。お見舞いとお悔やみのメッセージありがとうございました。

    ヨモのイメージカラーで遺影を作りました 祭壇の様子

     この夏は、めっきり食欲が落ちてほとんど食べなくなっていました。8月31日に病院に連れて行ったところ、昨年来の腎臓病の進行を示す血液検査の数値が末期の状態に来ているとの事。食べる事によって腎臓に負担がかかり、尿毒症が進むので、無理に食べさせず、好きなものを食べてくれるだけ少しずつやって、後は見守ってやってください、と言われました。すでに高いペットフードや猫の高級なおやつを与えても、ほとんど口を付けなくなっていたので、それからは人間が食べる魚を1日に2回食べさせました。さすがに人間用は美味しいらしくて、少しは食べてくれました。サンマ、アジ、太刀魚、鯛、マグロの赤身、トロ、イワシ、鮭、サバ、ブリ…この5週間に食べた魚の数々です。私の食事も基本的にヨモの食事の残り。頭の中ではスーパーでかかっている鮮魚コーナーの歌がなる有様。
    「さかなさかなさかな~さかな~を~たべ~ると~
     あたまあたまあたま~あたま~が~よく~なる~」

     9月下旬には自力でトイレに行けなくなり、リビングのペットシーツを敷き詰めた絨毯の上が居住スペースになりました。きれい好きの子でしたので、猫トイレの時のようにペットシーツの隅にオシッコしました。なのでシーツの交換は2枚ずつになってしまいました。

     10月6日、部分交換でしのいできたリビングのペットシーツを総取っ替えしてやると、とても気持ちよさそうに見えました。その後、鍋で煮た鯛を口元に持っていくと指ごと食い付いてきました。もうひとくち食べるかなと思ったけれども、その後は口を閉ざして受け付けませんでした。その後、2回オシッコしたので、その都度シーツを換えてやり、下でパソコン作業をして少しの間目を離し、昼過ぎに2階に上がったら目を開けたまま動かなくなっていました。突然の事に信じられなくて病院につれて行ったけど、すでに、心配停止状態で完全に死んでいると診断されました。

     ペット用の保存袋をネット注文し、翌日、体をきれいに拭いてやってから収めました。それに入れておくと1ヶ月位腐らず、そのままの様子でいるようです。親しい人にお別れもして欲しかったので、10月15日、日曜の午後3時にお寺で立合会葬してもらう事にしました。お骨上げして、遺骨は家に持って帰り、イネと並べておくつもりです。

     最後の日まで、淡々としながらも生きる意欲を見せていたのに、いきなりすうっと死んでいて、とても驚きました。寝ている時にちょっと苦しげな顔になる猫だったけれど、今は笑っているような死に顔です。「天寿を全うした子は死に顔が綺麗」と、どこかで聞いたので、寿命だったんだと思う事にします。それでも腎臓病さえなければ、もっと生きられたのではないかと思ってしまうのですが…

    2006*8/31 2006*10/1生前最後の写真です。

     火葬にするときに、皆さんからいただいたメッセージのプリントアウトを一緒に焼いてやるつもりです。10月15日の午後3時、もし皆さんが覚えていらしたら空を見上げてヨモの冥福を祈ってやってください。きっと、一筋の煙と一緒に天に昇っていくところでしょう。

     遺影を作って額に入れたり、会葬御礼にヨモの絵入りミニ額を準備したりと、思いつくままに色々してやっていますが、もう何か食べているところを見る事が出来ないんだな、と思うと泣けてきます。私はヨモが食べている姿を見るのが大好きでした。イネの時と違って、自宅で看取り、今もリビングに安置して、ゆっくりお別れしています。プライベートな事ですが、書く事で気持ちの区切りをつけて、滞っていた仕事に気持ちを向けていこうと思っています。
2006年10月
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