ESSAY
2000年に立ち上げた旧公式サイトの日記を移転しました。今後の更新は、特別に残しておきたい思いがあった時に書くかも?
2002年1月
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<絵を描く“わたし”>2002年01月14日
私が絵を描くことはもう自明のことのように思っていた。だから、ただその事で、人が感動している姿を見るのは不思議で新鮮な驚きだった。
年明けの旅行は、それ自体でひとつのホテルになっている南の海の小さな島での滞在。決められた時間内に朝昼晩の食事をとるレストランにドイツから来た一家の姿があった。目に付いたのは小さな金髪の男の子。両親の散歩中、ひとなつこくスタッフに手を引かれて歩き回ったり、一人で走り回ったり、サンドカーペットで砂遊びをしたりと、ちっともじっとしていない。いつもお友達のテディベアを連れて歩き、スプーンですくったものを、まずテディベアの口のところに持っていってから自分の口に入れる動作が可愛くて、いつもこっそりと目の端で見ていた。
夜の桟橋に集まる魚の写真を撮ろうとビデオカメラを持って夕食に出かけた時、私の座った席のそばにその子がやってきて、可愛くおしゃべりをし、唄っているのを、ついつい盗み撮りしてしまった。後ろにいる両親に不審に思われたかも‥‥と考えた私は、私自身のやり方で「怪しいものではない」と証明しようと思った。それはその子の絵を描くこと。仕事をしようと持っていったのに、全く使わずにいた紙を出し、ビデオを見ながら簡単なスケッチを仕上げる。
翌日の夕食の時、勇気を出して食事中の一家のお母さんに、彼に贈り物だと言って渡す。その時の彼女の驚きと喜びの表情、それを見た私の感動は、ちょっと言葉では言い表せない。「本当に信じられない、美しい!」と繰り返す彼女の姿に、絵とはこれほどストレートで強いコミュニケーションの手段だったのかと、改めて思い知った。今年初めて描いた絵が、言葉を越えて人の心に響くのを目の当たりにし、私の「絵で世界中の人に愛される」という願いは、幸せな「初夢」となって新たな1年を始められる気がした。 -
<画集の表紙ができました>2002年01月10日
12月28・29の両日、私がふだん絵の着彩の仕事もするリビングには、たくさんのカメラ器材と照明器具、スタッフでいっぱいになり、足の踏み場もない状況になった。
3月発売の画集の表紙の制作過程を記録するために、ビデオ2台がまわっている。下描きを完璧にやり、トレスし、パネルに貼って準備は万端。廻り続けるビデオの前でごまかしのきかない作業が続く。普段なら1つのプロセスごとに炬燵に戻り、お茶を飲んだり、ニャンコを触ったりしてくつろぐところだが、ついつい休み無しで描いてしまう。
前回、制作過程のビデオ撮りの入った画集「MADOKA」の表紙は、サイズも小さく、モデリングペーストによる下地も作らず、背景もボカしただけだったので、1日3時間位の2日間の作業は案外楽なものだった。今度は、背景もあり、テクスチャーもありで、本当に2日間でできるのかは、自分にもわからなかった。それでも、おおまかな作業は、ほぼ2日で撮り終え、器材に占拠されていた空間が現れ、ニャンコは縄張りを確認するように歩き回る。一人になったリビングで、ちまちまと細かく描き足すこと3日間、途中、新年早々プレッシャーで胃を痛くしながらも、2001年から2002年に跨った久々の大作が完成した。まだ手を加えたい気もしたが、サインを入れることで区切りを付けて終わらせる。
今回のPATLABOR画集は、カラー画集、モノクロドローイング集、DVDの3つが セットになったもので、絵だけではなく、私と作品との関わりをもまとめたものになる。作品が形になっていく過程も記録される。手で絵を描くことにこだわって、やってみた。「MADOKA」の時に興味を持って制作ビデオを見てくれた人、これから絵を描きたい人には、是非見て貰いたいと思っている。基本に忠実に、特別な使い方をすることはなく、色々な画材を組み合わせて使うやり方なので、きっと誰でも参考にしやすいと思う。
さて、ドローイング集の為にラフスケッチを探したりしているうちに、思いがけないものも発掘してしまったりもしました。なんと、12年前の午年の年賀状。2002年度版は掲示板で予告しておきながら、すべて無くなってしまったので、この12年前の年賀状をお正月のプレゼントにしたいと思います。2002年度版のデザインだけはスタジオぴえろHPのアトリエでご覧になって下さい。年頭のご挨拶も、そちらの日記に書きました。どうぞよろしく。
年賀状プレゼントの応募は1月20日をもって終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。
2002年1月
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